御坂路(鎌倉往還)とは・・・

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御坂路、鎌倉街道、鎌倉往還、駿州東往還とも呼ばれ、資料上確認できる甲斐の国で最古の官道(駅路)がこれにあたります。河口地区では古墳時代からの土器が出土していることから、既にこの地は古墳時代には後の官道の御坂路となる道路の基盤が存在したと思われます。西暦701年の大宝律令の施行により奈良時代古代国家は五畿七道制を敷き、甲斐国は七道制の東海道に所属することになります。 東海道の横走駅(御殿場市竹下付近)から分岐した支道「甲斐路御坂路)」は、籠坂峠(または三国峠)を越え水市駅(山中湖付近)、川口駅(富士河口湖町河口)、を過ぎ「甲斐の御坂(御坂峠)」を越えて、加吉駅(笛吹市御坂上黒駒付近)を経て甲斐の国府に通じる道として整備されます。この事は、「延喜式」兵部省諸国駅伝馬条に記されています。源頼朝が鎌倉に幕府を開くと鎌倉往還(鎌倉街道)という街道名が示すように、鎌倉へ至る重要な街道として整備され、甲斐の武士たちもこの道を通って鎌倉に出仕したのでしょう。
一方、中世には富士山が信仰の対象として、特に修験道の道者により崇められ、この道は軍事道路としての役割の他に道者達の参詣道としても利用され、富士山参詣の玄関口となる河口地区には御師の家が出現し御師街を形成していきます。今でも数箇所の御師の家の門が残されています。尚、この道は文化庁の選定歴史の道100選として河口湖から御坂峠を越えて笛吹市御坂町金川原へ至る道が選定されています。 

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